Lesson2-6 ファスティングとヒンドゥー教①

ファスティングを行う時には適度な運動が励行されているので、ヨガとファスティングを組み合わせたプログラムを展開する施設などもあります。ヨガは、古代インドにおける修行法です。インドの民族宗教であるヒンドゥー教についても少し学んでおきましょう。
 

ヒンドゥー教とは?

ヒンドゥー教徒は世界におよそ8億人いるといわれます。信徒の数でいえば、キリスト教、イスラム教に次ぐ3番目に大きい宗教となります。インドの民族宗教ですが、インド国内だけではなく周辺国にも信者がおり、インド国内ではおよそ8割の人がヒンドゥー教徒です。
本来はインダス川を意味するサンスクリット語の「スィンドゥ」が、ヒンドゥーの語源とされています。もともとは、インダス川以東に住む人々のことを指していました。このヒンドゥーが、ギリシア語に写されて「インド」となります。
現在につながる「ヒンドゥー教」といわれる文化的なものが成立したのは、諸説がありますが紀元前5世紀ごろという説が一般的です。ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ、シヴァなどの神様を絶対神として崇めますが、それらと神話的に結びついたり、村の精霊などに対する信仰も並んで行われていたりするので、日本の神道のように多神教の要素も持っています。
キリスト教やイスラム教のように、排他的で明瞭に定義づけられた一神教とは異なり、ヒンドゥー教は、無数の神々を化身や眷属などとして許容し、荒ぶる神々をも矛盾なく包み込む特徴を持ちます。こうした考えや概念は仏教にも影響を及ぼしました。日本における仏教と神道の関係も、こうした古代インドの影響を受けている点が多く見られます。
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基本的にベジタリアン、そのわけは?

インドは菜食の人が非常に多い国です。そこには、徹底した「命(殺生を忌む)」に対する信仰があります。
一般的に菜食主義者はベジタリアンと呼ばれますが、一言でベジタリアンといってもその人達が食べられるものにより、様々なタイプに分類されています。ここで少し触れておきましょう。
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卵を食べる人は菜食主義者か

魚や肉はその生き物を殺さなければ食べられませんので、菜食主義の人たちには受け入れられません。菜食かそうでないかのグレーゾーンにあるのが「卵」です。卵は「有精卵」は肉食にあたる(つまり殺生になる)が、「無精卵」は殺生していることにならないため菜食であるという解釈がなされています。
ただし、この解釈については異論もあり、無精卵も肉食に当たると主張する人もいます。卵を食するベジタリアンはオボ・ベジタリアンとも言われます。

根菜も食さないインドの菜食主義

菜食主義の中でもより厳格になると芋などの根菜も食さない人もおり、これはインドのベジタリアンに特徴的です。
これは、収穫の際に土を掘り返すことによって、土の中にいる生き物を殺してしまうかもしれないからです。またこうした根菜類は、土に埋めることによって次の新たな命の元となります。これらを食べるということは、そうした命を奪うことになり食べられないというわけです。穀類も根菜と同様に、土に撒くことによって次の命をつむぎますが、1粒から、数限りなく増えていくのでこちらは量が少なければ許容されるもののようです。
ですから、根菜類を避ける人々は葉物と穀類で命を繋ぐことになります。葉物なら収穫する際に、他の生物を傷つける心配はあまりありません。また、葉は種のようにそれだけを土に埋めても再生はしません。根菜類に比べると、生命が宿っている度合いは低いと考えられているのです。
このように「菜食」といっても、個人の思想や価値観によっていろいろなレベルがあります。一様な尺度が存在するわけではないのです。
 

『マハーバーラタ』に記された、より厳しい菜食法

ヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』という書物には、さらに厳しいの菜食の方法が記されています。
修行者は、葉や枯葉、苔といった食事「葉食」を続けます。さらに修行が進むと、今度は「水食」となります。具体的な食べ物として、牛のもたらす5つのもの(牛尿・牛糞・牛乳・ヨーグルト・バター)のほか、果汁や、草の汁などをあげています。
 
苦行はさらに続き、今度は「風食」となります。日本には「霞を食う」という表現がありますが、煙や蒸気を食べるのが「風食」です。そして最終的には絶食し、餓死にいたるという壮絶な修行が行われます。
『マハーバーラタ』では、こうした食事の節制や絶食は最大の功徳を積むことであると謳われています。実際にここまで壮絶な行を行うかどうかは別として、インドでは断食は今日でも広く行われています。願掛けのために行ったり、毎週日を決めて断食に取り組むことは一般的に見られる習慣です。
生命を傷つけないようにしようとすればするほど、食用にできるものの範囲は狭まっていきます。人間が生きるためには、殺生という罪を犯さざるを得ません。
インドの人々には、こうした罪を意識しながら生きていくという文化があります。生命に上下や優劣をつけず、一体のものとして理解しようとする態度が、こうした食文化を生み出したのです。
 
■Lesson2-6 まとめ■

  • ヒンドゥー教徒はその数が、キリスト教、イスラム教に次ぐ3番目に大きい宗教となり、インドの民族宗教である。インド国内だけではなく周辺国にも信者がおり、インド国内ではおよそ8割の人がヒンドゥー教徒である。
  • ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ、シヴァなどの神様を絶対神として存在するが、神話的に結びついたり、村の精霊などへの信仰行われることで、日本の神道のように多神教の要素ある。
  • インドは菜食の人が非常に多い国であり、そこには徹底した「命(殺生を忌む)」に対する信仰がある。
  • 菜食は様々なタイプがあり、卵を食べるベジタリアンをオボ・ベジタリアンというが、卵の殺生に関しては「有精卵」か「無精卵」かで考え方が分かれる事もある。
  • 菜食がより厳格になると芋などの根菜も食さない人もおり、これはインドのベジタリアンに特徴的である。これは土の中にいる生物を殺さないようにするため、また次の命を繋ぐ根である根菜を食することは命を奪うことになるという考えからである。
  • 『マハーバーラタ』には、菜食がどんどん厳格になり、最終的には絶食により餓死にいたるという壮絶な修行が最大の功徳を積むことであると謳われている。
  • インドでは断食は今日でも広く行われ、願掛けのために行ったり、毎週日を決めて断食に取り組むことは一般的な習慣である。