Lesson2-2 ファスティングと仏教

まずは、日本人にとっても身近な仏教から学んでいきます。ファスティングと仏教の関連性は、その開祖である釈迦の時代から現代まで、深く関わりがあります。
 

釈迦の断食

釈迦は悟りを開くため様々な苦行を自らに課しました。その一つが断食です。釈迦は骨と皮だけの状態になるまで、自分を苦しめることにより悟りを得ようとしました。
しかしながら、結局このような方法では悟りを得られない、何事もほどほどが大事だと「悟った」釈迦は、村娘が作ってくれた牛乳の粥を食べて体力を回復させると、菩提樹の下で瞑想に入り、やがて「悟り」を得るのです。
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禅の修業としての断食

釈迦の断食の伝説にとどまらず、以後仏道修行のために、各国の僧侶たちは断食を行いました。日本でも、各地にこうした修行僧の伝説が多く残っています。しかし日本の仏教では、こうした苦行としての「断食」よりも、むしろ「食事」に対する感謝の気持ちを深めることを第一に考える「少食」の修行を大切にします
禅宗の一派である曹洞宗を例に挙げてみましょう。
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曹洞宗の開祖道元(どうげん)の著した書物『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中に、「一茎艸量(いっきょうしょうりょう)あきらかに仏祖心量(ぶっそしんりょう)」との文言があります。
小さな草1本でも、そこには命が宿っていて、それは仏の分身なのだという意味です。
これは、私たちは自分の命を繋ぐために、他の尊い命を犠牲にしているのだということを忘れてはならないという教えです。毎日生きていくためには、私たちは「殺生」をせざるを得ません。ですから私たちのために犠牲となった命に対して、お詫びの気持ちと感謝の気持ちをもち、犠牲になる命は最小限になるように努めなければならない、というわけです。
犠牲となる命を最小限に抑えるためには、無駄な殺生をしないこと、すなわち必要以上のものを食べないことに努めなければなりません
仏教が説く「食事」とは、徹頭徹尾こうした理念のもとに行われています。お坊さんたちの食事が、質素なのは苦行のためではなく、そうした理念への理解を深めるためというわけです。
 
さらに曹洞宗には、「五観の偈(ごかんのげ)」というものがあります。

 「五観の偈」

一 : 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二 : 己が徳行(とくぎょう)の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず。
三 : 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。
※宗派によって、読み下しが異なる場合があります。

  1. この食事がどうしてできたのか、この食事を調えてくれた多くの人々や自然のことを考え、感謝します。
  2. 自分はこの食事をいただくだけの価値ある人間かどうかを考えて反省します。
  3. 心を正しく保ち、誤った行いをしないようにします。
  4. 食事は薬です。体を養い、健康であるためにいただきます。
  5. いま、この食事をいただくのは、自分の志を遂げるためです。

 
さすがに、この5項目を一つ一つ真剣に考えていては、食事ものどを通らなくなってしまいそうですが、それくらい、食事というのは軽々しいものではないのだ、という教えが垣間見えます。
日本人は仏教に親しんできた民族であり、こうした理念は比較的受け入れやすいことでしょう。食べ物を残すことに対して罪悪感を持つという人は多いですし、お米の一つ一つには八十八の神様が宿っている、などの教えは今でも生きています。
私たちは、健康のためにもこうした先祖伝来のよい習慣を、もう一度見直してもよいのかもしれません。
 
■Lesson2-2 まとめ■

  • 仏教の開祖である釈迦は悟りを開くため様々な苦行を自らに課した。その一つが断食である。
  • 仏道修行のために各国の僧侶たちは断食を行い、日本各地にこうした修行僧の伝説がたくさん残っている。
  • 日本の仏教では、苦行のための「断食」よりも、「食事」に対する感謝の気持ちを深めることを第一に考える「少食」の修行を大切にしている。
  • 曹洞宗の開祖道元の教えには、私たちは自分の命を繋ぐために、他の尊い命を犠牲にしているのだということを忘れてはならない、という物がある。その教えでは、無駄な殺生をしない、すなわち必要以上のものを食べないことに努めることを説いている。
  • 仏教が説く「食事」とは、徹頭徹尾「命を頂く」という理念のもとに行われており、お坊さんたちの食事が質素なのは、苦行のためではなくそうした理念への理解を深めるためである。